わが母校の池田高校が27年ぶりに甲子園に出場するらしい。本当におめでとう! いつも遅刻ギリギリ。
この赤信号が青に変われば一気に階段を駆け上がっていく心構えをしつつ、スタートダッシュのアスリートのごとく信号を待っていた当時を思い出す。(^_^;)私が高校に在学中も池田高校は簑島高校に惜敗するも準優勝。町は野球でわいていた。私が大学一年の夏には初めての全国制覇。その次の春も優勝し、池田高校の名前が日本中で有名になった。そんなこともあって、就職活動の時には池田高校という名前を出して、ずいぶんと話題に使わせてもらった。(*^_^*)
一気にこの階段を2段飛ばしくらいで駆け上がっていくのが日課。 階段を上から見たところ。舗装されて随分と綺麗になっていた。 階段を駆け上がってやっと到着の池田高校。その後静かになってしまった池田高校野球部だったが、27年ぶりに出場とあって、本当に懐かしく思い出す。
蔦先生は当時地理の先生だったが、授業そっちのけで野球の話ばかりしていた。同じクラスに蔦先生が有望だと目をかけていた生徒がいたが、「こいつは野球をやめて勉強を取ったんじゃ」と冗談交じりによくなじっていた。また、遅刻ばかりしていた私は、校門のところで「こらーっ!」と蔦先生に追いかけられたこともあった。
池田高校のある池田町は、山間の町で、四方を山で囲まれているので、野球部が朝早くからバッティング練習をしている「カキーン」という金属バットの音は町中にこだましていた。早朝、カキーン、カキーンという音を聞きながら「ああ、もう練習してるんだ、えらいなあ。」と感心しながら布団の中にいた自分を思い出す。
野球部のグラウンドあれからもう30年近い月日が流れたんだなぁ。
打って打って打ちまくる、という当時のスタイルではないかもしれないが、のびのびとしたひたむきな野球をぜひまた見せてほしい。
池田町は私が育った時と比べて随分と人口も減り、過疎化が進んできている。帰るたびにさびれてきている。私の母が育った隣町の山城町にあって、今はだれもすんでいない山奥の家は、数年前に見にいったら、なんと、木々で埋もれてしまって、近寄ることもできず、もはや山と一体化しているようなありさまだった。
都会にいると、人の多さでうんざりすることもあるのに、ところ変わればこんなにさびれた場所もあって、だからと言って働く場所もないのだから若者も出ていくばかりで、かといって安易に移民政策などやろうものなら、一気に人口比は逆転してしまって、市長さんは外国人なんてこともまんざらあり得ない話ではなく、帰るたびに何とからならないものかな、と思ってしまう池田町。
葉っぱビジネスで町おこしした
徳島県上勝町なんていう町もあれば、IT企業のサテライトオフィスの進出がめざましい
徳島県神山町なんていう町もある。また、池田町のある三好市の中の東祖谷山村には、アレックス・カーさんというアメリカ人がプロデュースして町おこしにも一躍買っている、わらぶき古民家
「篪庵(ちいおり)」などもある。何とか池田町も、知恵とアイディアを出し合って、活気あふれる町になってほしい。
先ずは池田高校が甲子園に27年ぶりに出場。池田高校野球部の盛衰と池田町の盛衰はもしかすると連動しているのかもしれない、などと考えつつ、池田高校の発展と、池田町の発展を心より願うのでありました。
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しののめの 上野が丘に
花めぐり
そびゆるいらか みどりこき
阿讃の嶺と きそうなる
これぞわれらが学びの舎
ひかり ひかり ひかりを呼ばん
たたえよ 池高
輝く 池高
池高 池高
おお われらが 池高
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